梶原みずほ公式サイト
← トップページのプロフィールへ

ヒストリー

東京や千葉で走り回っていた子どもが、カタールの高校とカイロの大学で学び、新聞記者として国内外を取材し、海洋安全保障の研究者を経て政治の道に進むまで。8つの章でたどります。

CHAPTER 01

幼少期

東京・千葉・富山

富山県の祖父の庭で駆け回り、宙に浮いている瞬間

CHAPTER 01|幼少期

東京・千葉・富山

とにかく、走り回っていました。

写真:富山県の祖父の庭で駆け回り、宙に浮いている瞬間

生まれてまもなくイギリスで数年を過ごしました。子どものころは落ち着きがなく、とにかく走り回っていました。富山県の祖父の庭で駆け回る姿も、写真に残っています。上野の不忍池の蓮の葉に乗ろうとして池に落ちたところを、通りがかりの外国の方に助けてもらったこともあるそうです。東京や千葉県の小学校に通い、高学年では50メートル6秒台後半と足が速く、走り高跳びなどの競技でも大会に出たりしていました。

もっと読む

一方、大食いなのにガリガリだったことがコンプレックスで、当時は当たり前だった密着型ブルマーを着用する体育の時間が恥ずかしく、深く思い悩んでいた時期もありました。

CHAPTER 02

中学時代

東京・文京区

中学時代、テニス部の部長だったころ

CHAPTER 02|中学時代

東京・文京区

あのときの仲間が、再び支えてくれている。

写真:中学時代、テニス部の部長だったころ

文京区立第十中学校で、1年生のときに生徒会副会長、2年生のときにテニス部の部長をしました。生徒会選挙のとき、ポスターを描き、演説などを手伝い、投票を呼びかけてくれた当時の仲間が、時を経て、再び支えてくれています。副会長と部長を務めたあと、イギリスの立教英国学院に転校しました。

いまにつながること

中学校のあった文京区は、いまの選挙区(東京10区)の一部です。

CHAPTER 03

高校時代

イギリス・カタール

1988年、ペルシャ湾の海辺で

CHAPTER 03|高校時代

イギリス・カタール

戻れるなら、迷わずこのころ。

写真:1988年、ペルシャ湾の海辺で

イギリスの全寮制の立教英国学院から、家族のいるカタールの学校へ転校を決めました。クラスメートは欧米、中東各国の出身で、ほぼ全員が違う国籍。最初は授業についていくのもひと苦労で、英語の補習を受けながら必死でしたが、次第にスポーツを通して学校に馴染んでいきました。バスケットボールでは学校代表選手に選ばれました。放課後は毎日のように友人たちとペルシャ湾の海や砂丘へ。もしタイムマシンで人生のどこかに戻れるとしたら――迷わず、このころを選びます。

カタールの高校で、学校代表のチームメートと
もっと読む

バスケットボールのほか、フットボールやバレーボールでも学校代表選手に選ばれ、隣国のバーレーンやアラブ首長国連邦に飛行機で遠征しました。

友人たちとは、船やジェットスキーで近くの無人島へ行くこともありました。休日は家族で砂漠へピクニックも。車が動かなくなり、助けを求めて砂漠を歩いたこともあり、日常そのものが冒険でした。

CHAPTER 04

大学時代

エジプト・カイロ

アフロヘアになったころ、ピラミッドのふもとで

CHAPTER 04|大学時代

エジプト・カイロ

毎日がサバイバルの4年間。

写真:アフロヘアになったころ、ピラミッドのふもとで

もっと中東の歴史や政治を知りたいと思い、家族の反対を押し切ってカイロアメリカン大学へ進みました。専攻は政治学、副専攻はジャーナリズム。授業は英語でしたが、得意ではなく、アラビア語の必修科目もあり、課題やレポートはとてつもない量で、ほぼ毎日徹夜でした。毎日がサバイバルの4年間、無事に生きて卒業の日を迎えたときは、万感の思いでした。親友が卒業式に参列してくれました。

大学新聞「キャラバン」のころ
カイロアメリカン大学の卒業式で、参列してくれた親友と
もっと読む

最初はピラミッドのふもとのアパートで一人暮らしをしていました。後半は大学の女子寮に入り、ルームメートはエジプト人やパレスチナ人、クウェート人、スーダン人でした。

たまに時間があれば、ドイツ製カメラ「ライカ」を手に人々の姿を撮影したり、ボランティアで孤児院を訪問したり、イスラム教徒の女子会に参加したりしました。大衆文化であるベリーダンスを見に行くこともありました。

大学新聞「キャラバン」のライターをしており、写真はキャンパスの暗室で現像し、焼き付けていました。とくに白黒フィルムが好きでした。

朝日新聞、読売新聞、NHKの特派員のもとで、新聞のスクラップや湾岸戦争の取材を手伝うアルバイトもしていました。

たまにピラミッド周辺で1時間くらい乗馬をしました。排ガスと砂ぼこりが混じった昼間の空気と喧騒から離れると、満天の星空の下の砂漠はとても幻想的でした。美容室で意思疎通に失敗し、アフロヘアになったのもこのころです。

CHAPTER 05

新聞記者

神戸・金沢・大阪・東京・世界各地

2013年、沖ノ鳥島へ向かう朝日新聞社の小型ジェット機の前で

CHAPTER 05|新聞記者

神戸・金沢・大阪・東京・世界各地

ニュースの背景にある本質を読み解く。

写真:2013年、沖ノ鳥島へ向かう朝日新聞社の小型ジェット機の前で

朝日新聞社で神戸総局、金沢支局、大阪本社社会部に勤務しました。日本の銀行強盗史上最高額の福徳銀行5億円強奪事件、阪神大震災、14歳少年による神戸連続児童殺傷事件。大きな事件や事故、災害に遭遇し、がむしゃらに働きました。常に心がけていたのは、表層的な出来事だけを追うのではなく、多角的な視点から、ニュースの背景にある本質を読み解くことです。会社の小型ジェット機で日本の最南端である沖ノ鳥島へ向かい、日本の安全保障を支える戦略的要衝を上空から取材しました。

2011年、水インフラの取材で訪れたサウジアラビアで
河野洋平外相の外遊に同行し、モスクワの聖ワシリイ大聖堂の前で
インドの取材中、誕生日を祝ってくれたホテルのスタッフと
現地のボランティアとごみを回収したハワイ島の海岸で
国土交通省の若手職員研修で講演
もっと読む

神戸、金沢、大阪では、市役所や県庁、警察、高校野球も担当しました。地方行政、永田町、調査報道、国際ニュース、英字媒体などで記者、編集者、編集委員をしながら、世界と日本をつなぐ国際的な視座を持つことも常に心がけていました。

民主党政権は成長戦略として、水インフラの海外展開に力を入れていました。日本政府や民間企業の人たちとサウジアラビアに行き、交渉現場を取材しました。当時は外国人女性もアバヤの着用が必須でした。

中国資本が北海道の森林を買っている実態を半年かけて調査し、報道しました。同じような問題を抱えていたインドを取材中、ホテルのスタッフたちが花束やケーキのサプライズで誕生日を祝ってくれました。

河野洋平外相がロシアのプーチン氏と会談した外遊にも同行しました。モスクワでは、玉ねぎ型の色鮮やかな屋根で知られる聖ワシリイ大聖堂を訪れました。

「太平洋ごみベルト」などから流れ着いたごみがたまる、ハワイ島の海岸。細かいプラスチックが積もってできた砂浜で、現地のボランティアとごみを回収しました。東日本大震災で流れてきたとみられる日本語のごみも多くありました。

講演やシンポジウム、イベントの企画も多く手がけました。国土交通省の若手職員研修で講演したこともあります。

いまにつながること

沖ノ鳥島の上空取材や、北海道の森林買収をめぐる調査は、いま私が掲げる政策の柱「安全保障(海を守り、国土を守る)」と重なるテーマです。

「なるほど、
この人が地元で
支持されるのには
理由がある」

CHAPTER 06

政治取材

東京・永田町

記者として、与野党を問わず数多くの政治家に会いました

CHAPTER 06|政治取材

東京・永田町

地元で支持されるのには、理由がある。

東京で、政治部などの記者や編集委員として永田町を中心に取材し、官邸や外務省、自民党を担当しました。民主党政権のときには、JAL再建も取材しました。与野党を問わず、数多くの政治家に会い、重要な政局の場面にも立ち会いました。「記者」と「政治家」という緊張感のある関係でしたが、ひとたび膝を突き合わせてじっくり話してみると、「なるほど、この人が地元で支持されるのには理由がある」と感じさせられる方ばかりでした。

記者時代、森喜朗元首相と
記者時代、麻生太郎元首相と
記者時代、野中広務元官房長官と
記者時代、鳩山由紀夫元首相と

CHAPTER 07

研究者

ハワイ・ロンドン・東京

2016年6月、海上自衛隊の練習艦「かしま」の前の岸壁で

CHAPTER 07|研究者

ハワイ・ロンドン・東京

研究の最大の理解者に、支えられて。

写真:2016年6月、海上自衛隊の練習艦「かしま」の前の岸壁で

朝日新聞社を休職して2年間暮らしたハワイでは、国防総省の組織であるアジア太平洋安全保障研究センターと、ハワイ大学日本研究センターの客員研究員として在籍しました。地球の半分を管轄するアメリカ最大の地域軍、太平洋軍(当時)のハリス司令官と、その隷下のスイフト太平洋艦隊司令官の2人は、私の研究の最大の理解者として常に励まし、支えてくれました。パールハーバーに海上自衛隊の水上艦や潜水艦が入出港するたびに、日系ハワイ人の方々と歓迎や見送りに足を運びました。

ハリス太平洋軍司令官(当時)と
2016年、ハワイでスイフト太平洋艦隊司令官(当時)と
パールハーバーで日の丸を振り、海上自衛隊の艦艇を出迎えて
アーミテージ元国務副長官と
もっと読む

安倍フェロー、フルブライトフェローとして、アメリカで日米関係、アメリカ太平洋軍、海洋安全保障について研究する機会がありました。

イギリスのキングスカレッジロンドンで客員研究員(非居住)だった1年間は、東京とロンドンを往復し、イーストアングリア大学で世界の水問題に関する実務者向け短期コースも修了しました。

帰国後、仕事をしながら、2023年に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程を修了し、博士(政策・メディア)の学位を取得しました。

アーミテージ元国務副長官にも研究の指導をしてもらいました。

CHAPTER 08

そして政治へ

東京10区(豊島区・文京区)

現在の梶原みずほ

CHAPTER 08|そして政治へ

東京10区(豊島区・文京区)

遠くを見つめ、足元を耕す。

写真:現在の梶原みずほ

朝日新聞社を早期退職しました。2026年の衆院選では、国民民主党の公認候補として東京10区(豊島区・文京区)から立候補し、43,006票を獲得しました。政治には「国家として何を優先的に守るのか」という揺るぎない軸が必要です。政治家が懐を増やすことでも、権力の座に居座り続けることでもなく、常に国民の幸せの最大公約数を追求すること、それが政治の仕事のはず。高い志は持ちつつも、腰は低く、フットワークは軽くありたいです。

もっと読む

2020年からは、テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターを2年半務めました。跡見学園女子大学の兼任教員として、地政学やアメリカ社会の授業も担当しました。

↑

デモ|文章はご本人確認前の案です